仕事に○○○感じてますか?

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sanjyo

–以下本文転載(一部修正)–

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、◯◯がない仕事だけはしたらあかん。」

当時、僕は1泊1200円・三畳一間のカビ臭い部屋に籠城しながら、延々とWEBサイトを作り続ける生活を送っていました。
机もなかったので、BOOK-OFFで買ってきた本を積み重ねて台座とし、そのうえにノートパソコンを広げての仕事。当然ながら、稼ぎも0に等しくて、もう自分がほんとうにどうしようもないクズ人間に思えてきて仕方がない。

アパートの風呂は共同で、17時から23時までの間に、好き勝手入っていいのですが、一度、人が多い8時くらいに行ったとき、般若や鬼や孔雀や、今からどこ飛んでくの?ってくらい立派な翼や、そんな禍々しい刺青のおっちゃんらに囲まれたときはもう喰われるかと思った。駄目だろ、ここ。

なので僕はいつも、みんなが上がった後、風呂が閉まるギリギリの23時近くにやってきて、シャワーだけ浴びてさっさと部屋に引き上げる、借りぐらしのアリエッティのような生活を続けていた。

でもここはジブリの世界じゃない。
僕が出会ったのは、元ヤクザの豪傑幹部・中條さん(仮名)だった。

ある日、やたら元気なおっちゃんが風呂場に飛び込んできた。

「おう兄ちゃん、元気か?」

やたら元気なおっちゃんが、風呂場に飛び込んできた。

風呂場が割れるようなバカでかい声で挨拶された僕は、一瞬、「俺か、俺に話しかけてるのか!?」と度肝を抜かれて固まった。こんなことなら湯船になんて入らず、さっさと上がっておけばよかった、、、なんて思う間もなく、おっちゃんは身体も洗わず、バシャバシャと湯船に入ってきて逃げられなくなった。

おっちゃん「おう兄ちゃん、見かけない顔やな!悪さでもしたか!?」
僕「い、いや、してないですよ!まだ!」
おっちゃん「そうか? ここに来る若い奴なんて人生にやらかしたような奴しかおらんからな。ガハハ!」
おっちゃん「いつから来たんや?」
僕「2ヶ月くらい前からです。」
おっちゃん「そうやな、2ヶ月くらい前から、おるよな!」

あーやっぱり見られてるんだな、と思ったのだけど、不思議と嫌ではなかった。

おっちゃんは30代の半ばくらいで、筋肉質で背が低く、地黒で、顔は景気が良さそうにテカテカしている。
労働者っぽく見えるけど、アパートに住む他の労働者のような陰気な感じがない。ってか、笑い方が豪快すぎる。明らかに只者じゃないオーラが漂っていた。

おっちゃん「いやな、若いにいちゃんが来たけど、何しとるんかなあってみんな話しとったんよ!」
僕「やっぱり、思われてたんですね(笑」
おっちゃん「そりゃな。にいちゃんみたいのが住む場所じゃないからな。自分でもわかるやろ?」
僕「ええ、まあ。」
おっちゃん「ここにおる若いのは、職人か、薬中か、ヤクザか、どれかや。にいちゃんみたいのは歩いてるだけで目立つ、気いつけぇ。で、ここで何してるん?」

この人には隠し事は通用しないなと思った僕は、思い切って、全部話してみることにした。

去年、鬱病になって仕事をやめたこと。
企業ではもう働けないと思ったから、自分でもできるビジネスを立ち上げようと思ったこと。
誰にも頼らず、0から這い上がるためにここに来たこと。
お金はまだ全然稼げていないが、近い将来は海外で生活をしたいこと。

そんなことをぜんぶ話してみた。

おっちゃんは楽しそうに僕の話を聞いて、ガハハ!と野太い声で笑った。そうかそうか、そりゃ頑張りや。最初は誰でも失敗するし、金も回らん。そこを乗り越えて一人前になるんやで。ここに来て、はじめて聞いた優しい言葉に、なんだか泣きそうになった。

風呂場で「人生」について教わる日々。

おっちゃんのは中條さんといって、半年前からこのアパートに越して仕事をしていると言った。

中條さん「それまでは神奈川におったんや!」
僕「あ、そうなんですか。僕は生まれは横浜ですよ!

共通点があったよ!

僕「神奈川でどんなお仕事されてたんです?」
中條さん 「ヤクザや! 」
僕「…..え?」
中條さん 「暴力団や!幹部だったんや! 」

共通点などなかった。

ってかあっさり、そんなドヤ顔で言っていいものなの?
自分のヤクザのイメージはテレビで見るようなものしかなかった。
中條さん、ぜんぜん違うじゃん。刺青だってひとつもないし、草野球でもやってそうなその辺にいる体育会系のおっちゃんじゃん。でも、だからこそ妙なリアリティがあった。

それに、出てくる話すべてが、突拍子もなかった。

たとえば、裏社会のビジネス。

「悪徳出会い系を運営して、月600万を荒稼ぎする方法!」
とか。
「パチンコ店を半年間で乗っ取って、8億円の利益を上げるビジネスモデル!」
とか。

ヤクザの仕事についても色々教わった。

僕「ヤクザって、辞めるときに色々あったりしなかったんですか? テレビみたいに小指差し出したり。」
中條さん 「俺は実績上げてたからな。そうゆうのはなかったわ!そう簡単に小指なんて差し出したら、何本あっても足りんわ。 」
僕「へー。でも実績上げてると、逆に抜けづらくなかったりしませんでした?」
中條さん 「そりゃ引き止められたわ! 親分ともずいぶんもめてな。でも最後にはうまく、納得してもらったわ。大変やったで!」
僕「それでも、堅気に戻りたかったんですね。」
中條さん 「まともな仕事しようと思ったら、暴力団におったってどうしょうもない。ほんとになあ、暴力団なんてクズやで! あんなとこ、いつまでもおったらあかん!」

他にも、

僕「中條さん、ヤクザにいたときはどんなお仕事されてたんですか?」
中條さん 「俺はな、渉外担当や! 」
僕「渉外担当?」
中條さん 「そう。何か外との揉め事があったときに、まず最初に乗り込んでいくのが仕事やな!」
僕「それ……めっちゃ危険じゃないですか!?」
中條さん 「そうや。まあ、誰かが行かんと収まりつかんからな!行って話をして、こちらが悪ければ、まあ着地点を探すけど、向こうが悪かったら一歩も引かん。おかげでだいぶ危ない目にもおうたわ!」
僕「命を狙われたりとかは?」
中條さん 「そりゃあ、あるで!一般道走ってる時に、横の車からいきなり発砲されたりな。頭にきて追いかけようとしたけど、アクセルに力はいらんねん。なんでかなーと思ったら、右足から血ぃ吹き出しとってな!新聞にも何度か載ったで!!」

奇天烈な大仕事の話から裏社会の仕組みまで、中條さんの話はいつも刺激的で面白かった。

もちろんそれは中條さんの一面にすぎない。僕に話していない、嫌悪込み上げる悪行も散々やったろう。鬼畜の所業も山ほど積み重ねたのだろう。でも、そんなことはどうでもよかった。

僕はこの土地には友達もいなかったし、鬱病になって携帯を壊してしまってから、気軽に話せるような人が誰もいなかった。中條さんはそんな生活の中で、唯一の話し相手になってくれた人だった。

にいちゃん、初詣に行くで!

このアパートに住み着いてからあっという間に4ヶ月が経ち、2012年の1月。

そのときにはもう、僕もすっかりアパートに馴染んでいて、住民とは挨拶や世間をふつうに交わせるようになっていた。夜、ロビーの人たちに新年の挨拶にいこうとすると、ロビーはガラガラ。

うろうろしていると、たまたま中條さんが部屋から顔を出してきて、「にいちゃん、これから初詣行くで!」と言ってきた。

中條さん 「初詣まだやろ。これから◯◯大社行くで!」
僕「いいんですか一緒に行って。 」
中條さん 「ええよ。ここにおっても誰もおらんやろ!」
僕「みなさん、どこに行ったんですか? 」
中條さん 「仕事や。お正月は稼ぎどきやからな。みんな◯◯大社で店出しとるわ!」

中條さんの車で◯◯大社へ向かうと、境内はすごい人で賑わっていた。

なるほど、現場で働いているけれど、正月の仕事がないときは、アパートのみんなで露天を出して、荒稼ぎしてるのだとか。こうゆう人たちが祭りの屋台を出していたのかと、はじめて知った。

境内を歩いていると、色んな人が中條さんに声をかけてくる。また中條さんも、テキ屋の皆さんには顔が効くらしく、10mおきに誰かしらと楽しそうに談笑していた。

僕「随分知り合いが多いですね!」
中條さん 「まあな!この仕事は顔で食ってく仕事やからな!顔が効かんとどうにもならん。足は洗っても、こうゆう付き合いは大事なんや!」
僕「それにしても、多すぎですよw」
中條さん 「にいちゃん、何人かから会釈されとったやろ。あれな、みんなお前のことを、俺の若い衆だと思ってんねん! 」
僕「えええ!」
中條さん 「ガハハ!! 」

なんだか不思議と心地良い気がした。

参拝が終わったあとでラーメンをご馳走してくれることになり、車で京橋に向かった。
京橋の駅からそう遠くない、カウンターとテーブル席がいくつかあるだけの小さな麺屋だ。

中條さんは昔からこのラーメン屋にお世話になっているらしく、ここが成功している経営上の理由や原価や利益や、まるで店の中の人のような情報をいろいろ教えてくれた。おやっさんが、「中條さん、勘弁して下さいよ」と笑っていた。僕は久しぶりにあたたかいものを食べた気がした。そのとき僕は貧乏の極地で、外食はもちろん、外でラーメンを食べるなんてもっての他だったのだ。ラーメン、うまかったなあ。

ラーメンを食べて外にでると、正月のキンと冷えた夜風が気持よかった。

「なんだか、自分の仕事なんて、ホントに小さいなーって思いますよ」

これまで、中條さんの仕事の話や、色々なビジネスの裏話を聞いてきた。

それは刺激的だったけど、いつも思っていたのは、「それに比べて、俺はなんて小さい仕事をしているんだろう」ということだった。

僕は、23歳のとき鬱病になって会社を逃げ出した。人と接するのが怖くなり、でも生きていかなくてはならなかったから、一人でもできるビジネスとしてWEBをつくる仕事を選んだ。

別にヤクザに憧れるわけでは全くないし、自分の仕事が嫌になったわけでもない。自分にはこの道しかないと思っていたし、自分の仕事を誇りに思っている。

それでも、人と触れ合う、人とぶつかり会う中で仕事をする人間の話を聞くと、羨ましくて仕方がなくなる時があった。僕はそれを、投げ出してしまったから。世の中には本当に、たくさんの選択肢があるということを、良くも悪くも中條さんに思い知らされてしまった。まだ、僕は満足にお金を稼ぐことができなかったから、余計に、そうゆう世界への劣等感があったのだと思う。

僕「なんだか、自分の仕事なんて、ホントに小さいなーって思いますよ。」

ぼそっと、本音が漏れた。「どうしたんや、急に?」 と中條さんが言った。僕は素直に、感じていることを中條さんに話した。

中條さんは笑わなかった。そういえばいつも、僕の話を笑い飛ばしていた中條さんが、そのときだけは、真面目な、優しい顔をしていた。

「にいちゃん、あのな」、

「俺はな、金なら死ぬほど稼いできた。豪遊もした、女も、もういらんくらいに抱いてきた。」

「だからこそわかった。仕事は金やない。仕事は充実感を感じるかどうかや。」

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、充実がない仕事だけはしたらあかんで。それだけは、金じゃ絶対に買えん。」

「にいちゃん、今の仕事に充実感、感じとる?」

「はい」と僕は答えた。

即答だった。
中條さんはガハハ!と笑った。

「そんならそれでええ!気張れや。」

三畳一間のアパートからの卒業。

今思い返すと、僕が自分の仕事に疑問を持たなくなったのは、この時からだったと思う。

24時間仕事のことを考え、自分の夢を考え、周りの雑音を気にせず仕事に向き合うことができた。その成果か、僕は正月を超えてから急に報酬が上がるようになり、月10万、月15万と報酬がどんどん増えていった。そして気がつくと、昔企業で働いていたときの給料の、2倍3倍を稼げるようになっていた。

2012年4月、僕は三畳一間のアパートを卒業した。

中條さんに最後の挨拶に伺うと、素直に喜んでくれた。中條さんのほうも、もうしばらくしたら別の仕事でここを離れるらしく、「まあ、何かあったら連絡せい」と連絡先を書いた紙を渡してくれた。その連絡先をコールする機会は、幸いなことに、まだない。

充実感のある仕事を続けてきて。

その年の7月、僕は日本を出国し、夢の第一歩を踏み出すことができた。

旅をしながら異国の街で仕事をすること。旅そのものを仕事にするライフスタイルを叶えること。

アパートを借りて暮らしたり、語学学校に通ったり、現地で恋人を作ったりすること。たった一人でも、企業や組織に属さなくても世界を飛び回るライフスタイルを実現できるのだと証明すること。そんな、三畳一間のアパートで暮らしている時に思い描いていた生活を、この1年半でだんだん叶えることができてきた。

でも、時には仕事に迷ったり、行き詰まったりする。勇気が出ずに足踏みしてしまったりする。そんなとき、僕は中條さんのあの言葉を思い出す。中條さんの腹に響く力強い声と、全てを吹き飛ばすような笑い声を思い出す。

「今の仕事に充実感、感じとる?」

あなたは、どう答えますか?

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