魚がいなくなった・・・

私の住んでいる瀬戸内海でも、最近、魚が獲れなくなったという話をよく

聞きます。沿岸域の魚類やプランクトンが多く生息する藻場(もば)の

減少が進行していて、それに伴い、魚などのエサになる生き物が減少

し、漁獲高の減少が続いています。

水辺の監視人からの報告

確かに温暖化の影響もあるでしょう。しかしそれ以外の影響もあるよう

です。瀬戸内海は本州・四国・九州に囲まれた日本最大の内海で、閉鎖

性水域です。原因は動画に出てくる犯人と同じ犯人かもしれません。

アゲハ蝶さん。もう許して~。

普通の人は春になってアゲハ蝶がヒラヒラ飛んでると、可愛らしい

なんて思うのでしょうか?

柑橘農家にとって。。。と言うか、農薬を使わない

柑橘農家にとっては、とてもやっかいな存在なんですよ。

葉っぱに白い丸い粒があるでしょ?

これが、アゲハ蝶の卵なのです。アゲハ蝶は柑橘の

葉っぱを好んで卵を産み付けるのです。

4~5日経つと卵からかえった幼虫が葉をムシャムシャ

食べちゃうのですよ。

特に葉の少ない苗木の時に何個も卵を産み付けられて、

数日ボ~っとしてると、いつの間にか、新芽を全部食べ

られちゃって、葉っぱが無くなっていることがあるのです。

なので、毎日1時間かけて苗木の卵を除去して回るのですが、

翌日行くとまた産み付けられているwwww。

もうエンドレスなんですよ。もう許して~(涙)

 

でもですね。99%の柑橘農家はこんな悩みはないのです。

最近は良い?農薬が開発されているのです。

それは“浸透移行性農薬”と言って、地面に農薬の顆粒を撒くと

植物が根から農薬を吸収して、それが茎や葉など植物全体に農薬が

移行し、植物全体が毒性を持つようになるっていう代物なのです。

だからどこを齧っても、あの世行きなのです。

しかも、これまでのように、表面に農薬を付着させるのではないので、

雨によって流れ落ちてしまうことも無く、効果が長持ちするのです。

そう考えると、アゲハ蝶も子孫を残すの大変なんだよね~。。。。

 

 

 

防カビ剤や除草剤に注意!日本は世界の流れに反し規制緩和wwww

 輸入された農作物には、国内では使用されていない有害な農薬が使われるケースもある。 アメリカから輸入されるレモンやオレンジ、グレープフルーツなどの柑橘類に使用される「防カビ剤」がそれだ。収穫した後に使われる、いわゆる「ポストハーベスト農薬」といわれ、アメリカから日本まで海上輸送をする際、カビの発生を防ぐために散布される。食品の輸入事情に詳しい東京大学大学院国際環境経済学教授の鈴木宜弘さんはこう語る。「アメリカで使用される防カビ剤は、イマザリル、チアベンダゾール、オルトフェニルフェノールなど。いずれも毒性が強く、吐き気や発がんといった人体への悪影響が指摘されます。日本では、それらの農薬は消費者の健康を考慮して使用されることはまずないのに、現実にはイマザリルなどの防カビ剤に汚染された輸入柑橘類が平然と店頭に並んでいます」

なぜそんなことがまかり通るのか。

「イマザリルなどの防カビ剤は、アメリカでワックスに混ぜられて柑橘類の表面に糊塗されます。ところがそれらの農薬は、日本に輸入される際に『食品添加物』として分類されることになり、なぜか、“制限されている『農薬』ではない”という建前になり、流通が認められています」(鈴木さん)

つまり、本来は「農薬」であるものが、輸入食品の「食品添加物」として扱われることにより、規制をすり抜けるというわけだ。

© SHOGAKUKAN Inc. 提供 国内での使用は禁止されているのに輸入は認可している成分

 

このダブル・スタンダードの背景には、1970年代に勃発した「日米レモン戦争」がある。 当時、日本に輸出する米国産レモンにはポストハーベスト農薬として、日本で未許可の防カビ剤が使われていた。そこで日本がレモンの輸入に難色を示すとアメリカ政府が激怒して、日本からの自動車の輸入制限をするなどの圧力をかけてきた。

「困った日本は、防カビ剤を食品添加物として認可する苦肉の策を打ち出しました。日本の食品安全行政はアメリカの外圧に屈し、国民の健康を守るという義務を放棄していまったのです」(鈴木さん)

その結果、農薬にまみれた柑橘類が日本に氾濫することになった。問題となっているのは農薬だけではない。

「『ラウンドアップ』という除草剤は、WHO(世界保健機関)が発がん性を認めています。米カリフォルニア州では数年にわたってラウンドアップを使用してがんを発症したという男性が裁判に訴え、製造元のモンサント社に約320億円の賠償を命じる判決が出ました。

日本では草にしかかけない“除草剤”なのに、アメリカでは大豆やトウモロコシなど穀物に直接かける方法が盛んで、成分が作物に残留しやすい。そのトウモロコシや大豆を世界で最も輸入しているのは日本です」(鈴木さん)

発がん性が問題視されるラウンドアップは、EUや米カルフォルニア州など各国で使用禁止の規制が進んでいる。

「ところが日本は世界の流れに逆行し、昨年12月に厚労省がラウンドアップの残留基準を、品目によっては100倍以上に緩和しました。防カビ剤と同じく、アメリカの圧力に屈したのではないかといわれています」(鈴木さん)

※女性セブン2018年11月29日・12月6日号

日本の篤農家 須賀一男さん(2)

先日ご紹介した“須賀一男”さんですが、彼ついて書かれた書籍『土にいのちと愛ありて』という本があるのを知り、アマゾンンで取り寄せて読んでみました。

これが滅茶苦茶面白くて、同じ志を持つ農家としてとても勉強になりました。初版が1988年ですから、福岡正信さんの『わら一本の革命』よりも古くて、自然農法に関する本では一番古いのではないでしょうか。ただ、内容は今でもまったく古さを感じさせません。

以下、そのあらましです。

1957年一男は子供が生まれるのを機に自然農法に転換することを決意する。

<自然農法の考え方>                              人間が健康で健やかに生きていくためには、農薬や化学肥料に汚染されていない、清浄な食物を食べることが出発点となる。その清浄な食物は、清浄な土で栽培しなければならない。例えば、自然の草や木は、農薬や化学肥料を全く用いないでも、立派に生育している。大地には草や木を育む生命力があるからだ。その自然のままの土の生命力を農作物に応用していく。これが自然農法の原理である。自然農法を初めて提唱したのは、哲学者あり宗教家でもあった岡田茂吉氏である。

転換1~2年の間は、まだ土壌に養分が残っているので順調にいったが、3年目以降は激しい生育不足で著しい減収に襲われた。

“あんなに畑を荒らしてはずかしくないのかね~” “あんなざまでは、とても百姓じゃ喰って行けねよなぁ”。。。村の人たちの陰口もしきりに耳に入ってくる。

そんなある日、枝豆を納めていた八百屋から連絡が入った。慣行栽培と比べて見劣りする枝豆だが、この枝豆は味が違う。甘みがあってとても美味しい。もっと食べたい。とお客さんから指名が入ったのである。八百屋もお客さんもその枝豆が自然農法で育ったとは知る由もない。お客の舌は自然農法の枝豆の味を敏感に察知したのだ。

更に知人が重い病気で、食べたものが喉を通らず、すぐにもどしてしまい、日に日に衰弱しているときに、一男が育てた自然農法の米と野菜だけはもどさずに美味しい美味しいと言って食べれたのである。その結果知人は体力は回復し病気は快方に向かったのである、

作物の収量は半減し、反対・非難・冷笑の渦の中で心身ともに打ちしおれていた夫婦にとって、自然農法の未来はこうなる、という神の啓示のように感じられ、二人の心には、小さいが、明るい希望の灯がともったのだった。。。。。。

夫婦で歩んだ自然農法の道。私たちの文明は、どこへ行くのか―。戦後の化学肥料、農薬の潮流に危険を感じて、自然にぬかづき、大地の声に耳をかたむけて新たな農業を生きた、一組の夫婦の27年間の感動の記録である。

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当時は今日のように自然農法についてほとんど知られていない中、その実践には大変なご苦労があったと思います。そんな中、自然に対する観察力や研究熱心さには本当に敬服いたしました。

なぜ、一男さんが有機農業では普通に使っている、牛や豚の厩肥や鶏糞を使わず、植物性の自然堆肥にこだわるのかというと。驚くべき事実があったのです。

自然堆肥で栽培したもの、豚や牛の厩肥や鶏糞で栽培したもの、化学肥料で栽培したものの比較実験を見たことがあって、それぞれの作物を試験管の中に入れ、二週間ほど経ってから匂いを嗅いでみると、それぞれの原材料の匂いがしたのだそうです。  それで自然堆肥が作物の栽培に一番適していると思ったのです。

彼は養豚もやっていて、その厩肥を畑の堆肥として使い、循環させていたのですが、この事を知り、養豚もやめてしまったのです。

原材料の匂いって。。。。衝撃的でした。

 

須賀一男さんのことが、あの有吉佐和子の『複合汚染』に詳しく書かれています。彼女が実際に一男さんの畑に行って、取材しているのです。

複合汚染(ふくごうおせん)は有吉佐和子の長編小説。1974年10月14日から1975年6月30日まで朝日新聞に連載された。連載中から大きな反響を呼び、連載終了前の1975年4月に新潮社から単行本上巻が出版され、7月に出版された下巻とあわせてベストセラーとなった。現在でも環境問題を考える上でしばしば言及されるロングセラーとなっており、レイチェル・カーソン『沈黙の春』の「日本版」にも例えられる。

タイトルの「複合汚染」とは、複数の汚染物質が混合することで、個々の汚染物質が単独の場合に与える被害の質、量の総和を超える相乗的な汚染結果があらわれることである。<ウィキペディアより>

沈黙の春』は、1962年に出版されたレイチェル・カーソンの著書。DDTを始めとする農薬などの化学物質の危険性を、鳥達が鳴かなくなった春という出来事を通し訴えた作品。<ウィキペディアより>

 

上記3冊とも、熱烈におススメします❤

 

 

映画を観てきました。

本日は、うちの奥さんと松山に映画を観に行って来ました。

二人の桃源郷”と“人生フルーツ”の2本です。

両作とも、こんな風に“”に携わりながら夫婦で歳を重ねて、人生を終わりたいと強く感じた映画でした。

お近くで上映会がありましたら是非観てください!!!!おススメします。

以下、両作の公式HPからストーリーと予告編をご覧ください。

「山」で暮らす夫婦と、支える家族
誰もが自分や家族に重ねずにはいられない、
25年間の貴重なドキュメント。

山口県のローカル放送局・山口放送が、ある夫婦と彼らを支える家族の姿を足かけ25年にわたり追いかけたドキュメンタリー。

山口県岩国市美和町の山奥で暮らす田中寅夫さん・フサコさん夫妻。二人が、電気も電話も水道も通っていないこの山で暮らすのには、ある理由がありました。山は、戦後まもなく一からやり直そうと自分たちの手で切り開いた大切な場所。高度経済成長期に大阪へ移住し、三人の子供たちを育て上げた寅夫さんとフサコさんでしたが、夫婦で還暦を過ぎた時、「残りの人生は夫婦で、あの山で過ごそう」と、思い出の山に戻り、第二の人生を生きる道を選んだのでした。

畑でとれる季節の野菜、湧き水で沸かした風呂、窯で炊くご飯…かけがえのない二人の時間に、やがて「老い」が静かに訪れます。山のふもとの老人ホームに生活の拠点を移した後も、山のことが心から離れない二人。離れて暮らす家族の葛藤と模索。そして夫婦亡き後、残された家族に〈芽生えた〉ものとは――?そこには、現代における“幸せの形”のヒントがありました。

 

愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一隅。雑木林に囲まれた一軒の平屋。それは建築家の津端修一さんが、師であるアントニン・レーモンドの自邸に倣って建てた家。四季折々、キッチンガーデンを彩る70種の野菜と50種の果実が、妻・英子さんの手で美味しいごちそうに変わります。刺繍や編み物から機織りまで、何でもこなす英子さん。ふたりは、たがいの名を「さん付け」で呼び合います。長年連れ添った夫婦の暮らしは、細やかな気遣いと工夫に満ちていました。そう、「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」とは、モダニズムの巨匠ル・コルビュジエの言葉です。

かつて日本住宅公団のエースだった修一さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきました。1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめましたーー。あれから50年、ふたりはコツコツ、ゆっくりと時をためてきました。そして、90歳になった修一さんに新たな仕事の依頼がやってきます。

本作は東海テレビドキュメンタリー劇場第10弾。ナレーションをつとめるのは女優・樹木希林。ふたりの来し方と暮らしから、この国がある時代に諦めてしまった本当の豊かさへの深い思索の旅が、ゆっくりとはじまります