蜂巣をとったぞ~! ???

今年も3回ハチに刺されちゃっていますが、その憎き蜂巣を取ってきました!   中には幼虫の姿も見えますね?

でも、どこか変?何か不格好だし。。。。。

なあ~んて。                                実はこれ、蓮の『果托』なんです。穴の中にあるのは蓮のです。

下の写真の赤い矢印のところです。

蓮の名前の由来はこの果托が蜂巣に似ていることから             『ハチス』→『ハス』になったとか。。。。

これが蓮の種です。今は真っ黒でカチカチに硬いですが、            種が出来てしばらくの間は果托も種も緑色をしていて、             その時期の種は外皮を剥いて食べられます。とても体に             良いそうですよ。

この真っ黒になった種は、磨いて真ん中に穴を開けて              糸を通して数珠などに加工されたりします。

蓮の種の数珠っておしゃれですね🎶

日本の篤農家 須賀一男さん(3)

過去2回にわたって須賀一男さんの記事を書いてきましたが、実際にどのように自然堆肥をつくって、どのような農業をされているのか知りたくなりました。

須賀一男さんについて書かれた本『土にいのちと愛ありて』には、一男さん夫婦の自然観察、土つくり、作物栽培の実態を描く記録映画『生きている土』の撮影が行われ,昭和59年春から各地で上映された。と書かれてありました。

きっとこの映画のDVDが今でも販売されているのではないか?と調べたところ、製作した『桜映画社』で販売していることがわかりました。

早速、取り寄せました。

当時のちらしが残っていたとのことで、同封して下さいました。

鑑賞しての第一印象は、僕が想像していた畑とは全く違っていました。不耕起で草ぼうぼうの畑を想像していたのですが、実際はトラクターで耕転した農地に植物性の完熟堆肥を鋤き込み、そこに苗を植え、微生物を守るため、直射日光が当たらないように敷き草をするといった、とても手間暇かけた農業をされていました。

有吉佐和子の『複合汚染』では、一男さんの草ぼうぼうの畑を見て、有吉さんが次のように書いています。 “これ畑ですか?”私は呆然として立ちすくした。これが、どうして畑と呼べるのだろう。原っぱにしか見えないではないか。ところが、その中にうずくまって、須賀さんが白い大根を引き抜いて見せる。須賀さんの奥さんが赤い人参を引き抜いて見せる。まるで手品でも見ているようだった。。。。と。

有吉さんが須賀さんの畑を訪れたのが昭和49年、映画が作られたのが昭和58年。この9年間の試行錯誤の結果、草ぼうぼうから変わったのでしょう。       どういった経緯からなのか知りたいところですね。               そして、現在はまた変わっているのだと思います。

オイラも日々試行錯誤の連続です。っていうか上手くいかないことだらけ。。。。10年後どんな農業をしているのか?  自分でも楽しみです(^^♪

桜映画社では、他にも 『いのち耕す人々』や『天に栄える村』等々、農業関係の面白そうなドキュメンタリー映画を製作販売していますよ。

 

 

日本の篤農家 須賀一男さん(2)

先日ご紹介した“須賀一男”さんですが、彼ついて書かれた書籍『土にいのちと愛ありて』という本があるのを知り、アマゾンンで取り寄せて読んでみました。

これが滅茶苦茶面白くて、同じ志を持つ農家としてとても勉強になりました。初版が1988年ですから、福岡正信さんの『わら一本の革命』よりも古くて、自然農法に関する本では一番古いのではないでしょうか。ただ、内容は今でもまったく古さを感じさせません。

以下、そのあらましです。

1957年一男は子供が生まれるのを機に自然農法に転換することを決意する。

<自然農法の考え方>                              人間が健康で健やかに生きていくためには、農薬や化学肥料に汚染されていない、清浄な食物を食べることが出発点となる。その清浄な食物は、清浄な土で栽培しなければならない。例えば、自然の草や木は、農薬や化学肥料を全く用いないでも、立派に生育している。大地には草や木を育む生命力があるからだ。その自然のままの土の生命力を農作物に応用していく。これが自然農法の原理である。自然農法を初めて提唱したのは、哲学者あり宗教家でもあった岡田茂吉氏である。

転換1~2年の間は、まだ土壌に養分が残っているので順調にいったが、3年目以降は激しい生育不足で著しい減収に襲われた。

“あんなに畑を荒らしてはずかしくないのかね~” “あんなざまでは、とても百姓じゃ喰って行けねよなぁ”。。。村の人たちの陰口もしきりに耳に入ってくる。

そんなある日、枝豆を納めていた八百屋から連絡が入った。慣行栽培と比べて見劣りする枝豆だが、この枝豆は味が違う。甘みがあってとても美味しい。もっと食べたい。とお客さんから指名が入ったのである。八百屋もお客さんもその枝豆が自然農法で育ったとは知る由もない。お客の舌は自然農法の枝豆の味を敏感に察知したのだ。

更に知人が重い病気で、食べたものが喉を通らず、すぐにもどしてしまい、日に日に衰弱しているときに、一男が育てた自然農法の米と野菜だけはもどさずに美味しい美味しいと言って食べれたのである。その結果知人は体力は回復し病気は快方に向かったのである、

作物の収量は半減し、反対・非難・冷笑の渦の中で心身ともに打ちしおれていた夫婦にとって、自然農法の未来はこうなる、という神の啓示のように感じられ、二人の心には、小さいが、明るい希望の灯がともったのだった。。。。。。

夫婦で歩んだ自然農法の道。私たちの文明は、どこへ行くのか―。戦後の化学肥料、農薬の潮流に危険を感じて、自然にぬかづき、大地の声に耳をかたむけて新たな農業を生きた、一組の夫婦の27年間の感動の記録である。

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当時は今日のように自然農法についてほとんど知られていない中、その実践には大変なご苦労があったと思います。そんな中、自然に対する観察力や研究熱心さには本当に敬服いたしました。

なぜ、一男さんが有機農業では普通に使っている、牛や豚の厩肥や鶏糞を使わず、植物性の自然堆肥にこだわるのかというと。驚くべき事実があったのです。

自然堆肥で栽培したもの、豚や牛の厩肥や鶏糞で栽培したもの、化学肥料で栽培したものの比較実験を見たことがあって、それぞれの作物を試験管の中に入れ、二週間ほど経ってから匂いを嗅いでみると、それぞれの原材料の匂いがしたのだそうです。  それで自然堆肥が作物の栽培に一番適していると思ったのです。

彼は養豚もやっていて、その厩肥を畑の堆肥として使い、循環させていたのですが、この事を知り、養豚もやめてしまったのです。

原材料の匂いって。。。。衝撃的でした。

 

須賀一男さんのことが、あの有吉佐和子の『複合汚染』に詳しく書かれています。彼女が実際に一男さんの畑に行って、取材しているのです。

複合汚染(ふくごうおせん)は有吉佐和子の長編小説。1974年10月14日から1975年6月30日まで朝日新聞に連載された。連載中から大きな反響を呼び、連載終了前の1975年4月に新潮社から単行本上巻が出版され、7月に出版された下巻とあわせてベストセラーとなった。現在でも環境問題を考える上でしばしば言及されるロングセラーとなっており、レイチェル・カーソン『沈黙の春』の「日本版」にも例えられる。

タイトルの「複合汚染」とは、複数の汚染物質が混合することで、個々の汚染物質が単独の場合に与える被害の質、量の総和を超える相乗的な汚染結果があらわれることである。<ウィキペディアより>

沈黙の春』は、1962年に出版されたレイチェル・カーソンの著書。DDTを始めとする農薬などの化学物質の危険性を、鳥達が鳴かなくなった春という出来事を通し訴えた作品。<ウィキペディアより>

 

上記3冊とも、熱烈におススメします❤

 

 

映画を観てきました。

本日は、うちの奥さんと松山に映画を観に行って来ました。

二人の桃源郷”と“人生フルーツ”の2本です。

両作とも、こんな風に“”に携わりながら夫婦で歳を重ねて、人生を終わりたいと強く感じた映画でした。

お近くで上映会がありましたら是非観てください!!!!おススメします。

以下、両作の公式HPからストーリーと予告編をご覧ください。

「山」で暮らす夫婦と、支える家族
誰もが自分や家族に重ねずにはいられない、
25年間の貴重なドキュメント。

山口県のローカル放送局・山口放送が、ある夫婦と彼らを支える家族の姿を足かけ25年にわたり追いかけたドキュメンタリー。

山口県岩国市美和町の山奥で暮らす田中寅夫さん・フサコさん夫妻。二人が、電気も電話も水道も通っていないこの山で暮らすのには、ある理由がありました。山は、戦後まもなく一からやり直そうと自分たちの手で切り開いた大切な場所。高度経済成長期に大阪へ移住し、三人の子供たちを育て上げた寅夫さんとフサコさんでしたが、夫婦で還暦を過ぎた時、「残りの人生は夫婦で、あの山で過ごそう」と、思い出の山に戻り、第二の人生を生きる道を選んだのでした。

畑でとれる季節の野菜、湧き水で沸かした風呂、窯で炊くご飯…かけがえのない二人の時間に、やがて「老い」が静かに訪れます。山のふもとの老人ホームに生活の拠点を移した後も、山のことが心から離れない二人。離れて暮らす家族の葛藤と模索。そして夫婦亡き後、残された家族に〈芽生えた〉ものとは――?そこには、現代における“幸せの形”のヒントがありました。

 

愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一隅。雑木林に囲まれた一軒の平屋。それは建築家の津端修一さんが、師であるアントニン・レーモンドの自邸に倣って建てた家。四季折々、キッチンガーデンを彩る70種の野菜と50種の果実が、妻・英子さんの手で美味しいごちそうに変わります。刺繍や編み物から機織りまで、何でもこなす英子さん。ふたりは、たがいの名を「さん付け」で呼び合います。長年連れ添った夫婦の暮らしは、細やかな気遣いと工夫に満ちていました。そう、「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」とは、モダニズムの巨匠ル・コルビュジエの言葉です。

かつて日本住宅公団のエースだった修一さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきました。1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめましたーー。あれから50年、ふたりはコツコツ、ゆっくりと時をためてきました。そして、90歳になった修一さんに新たな仕事の依頼がやってきます。

本作は東海テレビドキュメンタリー劇場第10弾。ナレーションをつとめるのは女優・樹木希林。ふたりの来し方と暮らしから、この国がある時代に諦めてしまった本当の豊かさへの深い思索の旅が、ゆっくりとはじまります

 

日本の篤農家 須賀一男さん(1)

 

農水省のHPに日本の篤農家を紹介するページがあるのですが、第10回に

紹介されている“須賀一男”さんは、知る人ぞ知る人なんです。

本日はそのHPの記事をご覧ください。

群馬県との県境にほど近い埼玉県上里町、国定忠治ゆかりの赤城山から吹き下ろす寒風にさらされた白菜畑に、須賀一男さん・利治さん親子の姿があった。自然農法によって栽培された冬野菜の収穫に忙しく、休む暇もない毎日だ。

昭和8年生まれの一男さんは江戸時代から続く農家の8代目。幼い頃から病気がちで、体はあまり強いほうではなかったという。高校卒業後に就農したが、農作業は身にこたえた。

当時、須賀さんの家では養蚕と米麦栽培を行っていたが、医者にかかっても思わしくない体調は、結局なにが原因か分からずじまい。さまざまな健康法を試すうちに、食物が健康に与える影響の大きさを知り、「医食同源」「身土不二」に基づいた自然農法に取り組むことを決心したのである。

9代目を継いでいる長男・利治さんが生まれた昭和32年、本格的に農薬や化学肥料を使わない栽培を開始。「健康は食べ物で培われる。この子には滋味豊かな野菜を食べさせたい」と強く思った。

当時、自然農法の技術的な指南書もなく、失敗の連続。周囲からも奇異な目で見られる辛い日々が続いた。ある年、手付かずの状態でも生育を続けている竹にふと思いが及び、裏の竹やぶを開墾したことで、作物にとっていかに土の力が重要であるか実感した。

「植物が朽ちてバクテリアや土壌生物によって分解された自然の土には力があります。そういった自然の土の養分があれば、作物は健康に育つはずです」と一男さん。

利治さんは東京農業大学で学び、自然農法の研究に励んだ。頼もしい後継者を得て、栽培品種を増やしていった。

農薬はもちろん化学肥料も除草剤も一切使わず、土手の雑草を主体に発酵させた植物性の自家製堆肥のみで栽培している。

「肥料効果を狙っているわけではありません。作物の根を張らせ、土壌生物の働きによって土の力を引き出すことが目的です。あくまでも自然の仕組みを利用しているのです」と利治さんは語る。

失敗の中で積み重ねてきた経験から、虫がつく時期を外して苗を植えることを学び、それぞれの畑の土壌に合った作物を季節ごとに連作している。どの畑でも連作障害は起きていない。

一男さんは佐渡島で人工的に繁殖されたトキが放鳥される前に、島に呼ばれている。カエルや小魚、昆虫など、水田にいる小動物をエサとするトキが、佐渡島に居つく環境を作るために、自然農法の田畑作りを教えてほしいと乞われたのであった。

須賀さん親子が大切にしているのは、四季折々の新鮮な野菜を消費者に届けることである。6haの農地のうち2haで30~40品種の野菜を栽培している。多品種を栽培することで、どの季節にも旬の野菜を届けることができるのだ。

契約しているレストランや一般消費者に常時7~8品種を詰め合わせて宅配を中心に販売。「食べた方の感想をじかに聞けることは勉強になり、ありがたい」という。

健康の源となる「食の力」を体感している須賀さん親子は、「農食連携」「農医連携」も実践している。

「自然界の恵みを得て育った旬の野菜は、生命力に溢れています。安全な野菜作りを通して、みなさんの健康維持に貢献できればうれしい」

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